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いんさい
興仁寺開山 寅載上人
(法蓮社要譽信知寅載大和尚)
略歴
慶安3年(1650)
誕生
慶安3年(1650)1月25日、午後4時頃、寅年・寅の刻に
福島県鹿島町で生まれる。幼名を「寅歳」と名付けられる。
万治元年(1658)
8歳で中村城下の西光寺16世 双譽寛底上人の弟子となる。
出家
寛文4年(1664)~
増上寺に掛錫
14歳にして江戸増上寺第37世 松誉詮察大僧正の門に身を投じ、昼夜問わず仏道修行に励み、智道兼備の僧となる。
そのお姿は、雲臥上人・忍澂上人・祐天上人と並び、「宗門の鸞鳳」と称されるほどであった。この頃、名前の「歳」の字を「載」に改め、寅載と号す。
延宝4年(1676)
経蔵の監主として
26歳、増上寺第27世 乗譽珂天大僧正に、増上寺経蔵の監主に命じられ、一切経の完本化を成し遂げる。
宝永元年(1704)~
伊勢国へ
増上寺37世松誉詮察大僧正の命によって、伊勢梅香寺(三重県伊勢市)に移り、晩年は棚橋蓮華寺(三重県度会郡)に隠居した。伊勢国へ移る前後、鹿ヶ谷法然院の忍澂上人と交友があり、寅載上人の要請によって、忍澂上人は『吉水遺誓諺論』を著された。
享保6年(1721)
9月28日、72歳で御遷化。
御遷化
寅載上人の著作
『浄土十念章』『面上傍人伝』『神宮蓮華寺格式』など
~寅歳上人の修行のお姿~
「夜は、どうしても眠気が襲ってくる。しかし、寝てしまっては仏道修行の時間が減ってしまう・・・」
寅歳上人は、夜になると服に錐(きり)を刺し、天上から垂らしたロープに首にくくって、机に向かい修行に励んだと伝えられます。つまり、寝てしまったら錐は体に刺さり、首が締まって目を覚ますということです。それほどまでに睡眠を厭い、精学された寅歳上人でありあました。
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